jidoutekina

感想はすべてネタバレ無双

映画『窓ぎわのトットちゃん』見てたよ噛みしめタイム

数年ぶりくらいに映画館に行き、『窓ぎわのトットちゃん』を見た。
しみじみといい映画だったな~と思い返したので書く。
内容についてなんやかんやがっつり書いてるかも。

語ってる要素だけを取るといくらでも説教くさくなってしまいそうな気がする話なんだけど、そのあたりを押し付けすぎないバランスで手渡し続けてくれていたな~と思う。
人物の感情表現、変わっていく世界のありよう、そういうのを極力台詞ではなく映像で伝える造りだった。
距離の取り方の心地よさ。

私は、この映画の主題は「心の内側は不可侵の自由」みたいなことにあると思って見ていた。
学校になじめなかったトットちゃんも、自由に動けない泰明ちゃんも、楽器を弾くことが仕事の父も、学校が崩れた先生も、どう現実が変容しようが心のうちは、それに囚われない無限みたいなものなのだろう。
何度も挿入される画風ごとがらっと変わるイメージシーンもそういう文脈で捉えていた。
そしてそういう不可侵の自由さは、演出の語りすぎず細やかに表す適切な距離感からも出ていたと思う。キャラクターにも視聴者にも、豊かなイメージを持たせることを阻害しない演出ばかりで惚れ惚れする。

一番それを感じたのはクライマックスだった。
衝動みたいに走り出すトットちゃん。
あれは…いろんな受け取り方ができると思うんだけど。私はあのシーンもやはりある種の自由さを感じたので。
泰明ちゃんはもうこの世のどこにもいないという絶対的な悲しみがある。
その悲しみは、軍のパレードや兵隊ごっこをしている子どもたちを追い抜いて、気にも留めずに、トットちゃんを走らせる。
取り巻く世界はもうとっくに変わっていて、それでもあのシーンでの彼女は走っていく。
何ものにも変えられない、絶対的で自由で孤独な悲しみがぽつんとあった。そしてトットちゃんの悲しみは何ものにも変えられなくて、逆に変わっていく世界をトットちゃんにもどうすることもできない。
そういうシーンだと思った。

印象的なシーンが多い。
学校での生徒たちの生き生きとした動きから伝わる楽しさ。かわいいヒヨコが死んだときの、ぞっとするような生々しさを感じる死に顔。国への葛藤やオーケストラへのままならなさを抱えた指揮者が、トットちゃんたちに見せる嬉しそうなふるまい。先生たちの会話を聞いてしまったときの、あの何とも言えない感覚。木登りシーンの、風や熱が伝わるような気配。泰明ちゃんが服を汚して帰ってきたときの、お母さんのあの溢れ出す感情に満ちた声。しっぽの話で出てきた子と先生の運動会での会話。運動会で必死に応援し喜ぶお母さんたち。あれだけ映されてきた家が壊されるときのあっけなさ。
どれも本当に伝え方が豊かですごい。

小林先生のシーンもすごかった。
小林先生本人が自分の思想や感情を話すシーンはほとんどない。子どもたちの前では言おうとしていないんだろう。先生同士で話すところくらいかな? たしか。
なんだけど、どこまでもその情熱というか、凄みがずっと伝わってくる。そしてそれでいいのか悩んでもきたであろうことも。
だからこそ生徒たちの言葉に人一倍救われてもいる人だったんだろうな…。
ラストシーンの先生の苛烈さはまたすごく、本当に周囲の炎よりも燃え盛るような、なんなら怖いほどの教育への信念が出ている。すごい人だ。
小林先生が理想的でありつつも、血の通った人間としての描写を貫いていたところも好きなところ。

上映期間としてはかなりギリギリに滑り込んで見れたんですが、間に合ってよかったな…。すごくよかったです。ソフトや配信に来たらまた見たいな。