jidoutekina

感想はすべてネタバレ無双

『幽玄F』を読んだよ

テスカトリポカ』を昨年読んでおもしろかったので、気になっていた佐藤究さんの本。
一作読んだだけでは「この作品が好きなのか、この作者の作品が好きなのか」はわからないけど、今回読んでみて「この作者の作品が好きだな」とわかった。
夢中で読んだ。

複数の国を渡り様々な人に出会う話だけど、自分にとっては、根幹はとても内的な話だなと思っていた。
解脱というか悟りというか…この手の語彙がフワッフワなのであれなんだけど、そういう地点にたどり着くための修行としての人生の話だなと。
そしてこれまでがあって、最後のフライトに行きつく。
それが散々姿を現しては世界に圧し掛かる、力そのものな「透明な蛇」そのものに自分がなった、同一化したという描写なのがいい。あのシーンの爽快感は、読んでいて私も「この飛行のためにあったんだ!」と思えるような良いものだった。

易永が空を飛びたいのは、自由になりたいからか。
そう言われると、そうなんだろうけど違うような気がする。それも含んでもっと広い言葉で言えそうな感じ。
自分がこの世界にあるんですよ、自分は在るし世界は在るんですよ、の実感のため……みたいな、もっとそれを本能的に単純にしてるみたいな…そういう印象。
その時間を得たときが、易永にとっては真の孤独と死の予感の中で行ったあの飛行であり、「透明な蛇」になった瞬間であり、血の補色としての青が象るものだった。

易永の祖父はそれを仏教的な語彙で認識していたのだろう、という描写がいくつかある。棺に入っていた孫に掛けた言葉は後から見返すと暗示のようですらある。
祖父の死後に弟子の人が送ってくれた手紙の文面がやたら好きで、易永にどうだったかはわからないけど、孫を案じていたのだろうという細やかなことがらがさりげなく書かれていて、どうもグッときてしまった。
『テスカトリポカ』のパブロしかり、この人の書くわずかに滲む子への情みたいなシーンに弱い気がする。美しいなと思う。

易永がずっと持っていた明王の絵は、現実にはジャングルに墜落した戦闘機となって現れる。易永にとってそれは、このために人生があったと思わせる光景だった。
私はこういう場面が大好きで……。
このためにすべてがあった、生きていたのはこのためだった。
そう思える一瞬と出会ってしまう場面。それが他者と共有できない、崇高でないものであるほどいい。
人生の肯定というにはもっとこう…うっかり出会ってしまって魅入られてしまったような、そういう感じで。悟ったようで発狂しただけかもしれないし、そう思い込んで『目覚めた』だけかもしれない。そういう危ないくらいの気づきがいい。
『幽玄F』は終盤まさにそれだったので大好き。

そしてその後の易永の死は、易永の視点でその風景を独占していて、火の玉となった彼を見た人々は見間違えて祈り、空を夢見た男の子は今度は船を作って飛ぶ夢を見て、続いていく。

しかし佐藤究さんの文章って筆力が凄まじいな…と読むたび思う。
今回、易永がなぜそこまで空に魅入られているのか、随所に彼の思考を追えはするけれど「これ」という切っ掛けのシーンなんてない。
でもその執念がリアルにこちらへ迫ってくる。わかるとすら思える。
飛行機を操縦するシーンの緊迫感やタイやバングラデシュの風景もそう。
だからこそここまでのめりこんで読ませる小説なんだろう。
すごくすごく面白かった。読めて良かったです。